幸せは幻覚? 夫と愛人六人の末路
依頼者は40代後半の専業主婦、サワコさん。初めて面会した時は、洗練された装いで礼儀正しく、一言で表現するならば、「品行方正な山の手の奥様」風の女性だった。夫は職場恋愛で20数年前に結婚し、以来、三人の子供たちにも恵まれ、ごく平凡ながら幸せな家庭生活を営んできたという。経営コンサルティング会社に勤める夫は、いわば典型的な仕事人間。家事や育児は妻に任せっぱなし。ただしきっちり稼いでくるから「文句は言うな」というタイプ。確かに収入も良く、生活に困ることは皆無であり、年に一度は家族で海外旅行に行く余裕もあったが、夫はそんなイベントに同行したことはほとんどなかった。平日の帰りはほぼ午前様、出張も多く、三日も四日も「地方出張」で帰ってこないことも少なくなかった。そんな夫のサボタージュに、さすがのサワコさんも「おかしい」と感じ、その気持ちは日々少しずつ膨らんで、ついに探偵に相談する決意を固めたというのだった。さらに話を聞いて驚いたのは、サワコさんの心に芽生えた疑心は、実は結婚を前提に交際している頃からだったというのである。「この20年間、ずっと頭に引っかかっていたことがあるんです。夫と結婚するとき、同僚の皆さんから『大丈夫なの?』と心配され、夫には私以外の女性がいると忠告されたのです。私以外、会社の誰もが知る公然の秘密だと分かり、思い切って夫に尋ねました。すると、「君と付き合う前の彼女のことも言っているのだろう。もう別れたから」と言うので、私はその言葉を信用して結婚したんです」しかし、サワコさんの心には、ずっと夫への微かな疑いが拭い去れないまま残されていた。今では、夫の普段の行動すべてが不審に思え、信じようと思っても、もう元には戻れなかった。それならば自分が安心するために事実を調査して、客観的に白黒決着をつけたい。できれば疑いがすべて思い過ごしで、逆に不倫の証拠が出ずに、夫の潔白が証明されることを願っているようにも感じられた。しかし、ヒアリングをした私の感触は「完全なるクロ」。夫と愛人が嘘を重ね、徹底した調査をすることになったのだが、この後、百戦錬磨の探偵たちも夫の大胆不敵な行動を前に、愕然とするしかなかった。――半年の調査の末に判明した事実――結果から言うと、夫にはなんと六人もの愛人がいることが判明した。一人は結婚前から交際してきた20年来の愛人。年齢は50歳前後で、洋服や化粧が派手目の女性だった。週に二度ほどのペースで愛人宅を訪れ、夫が来る日には、恐らく手料理を振る舞うのだろう、いそいそとスーパーで材料を買ってから帰宅していた。この愛人こそが、結婚前、周囲から忠告を受けていた女性だったのではないか。愛人はそれだけではない。夫は学生時代に合唱部に所属し、現在も忙しい合間を縫って、社会人のコーラスサークルに通っている。そのサークルに二人の愛人がいることも判明した。一人は40代の独身OL、もう一人は30代の既婚者であった。サークルの練習が終わると、二人のうちどちらかと一緒に練習場所を後にするのが習慣となっていた。いわばセレブのような間柄で、二人の女性も納得の関係のようだった。コーラスの練習の後は、ラブホテルに入るのがお決まりのコース。夫と愛人が腕を組んで、ラブホテルに入る瞬間を、弊社の探偵がばっちりとカメラにおさめることができた。他にも、夫には風俗嬢の愛人が三人もいた。関係がどれくらいの期間、継続しているのかは不明だが、風俗嬢はいずれも20代なので、他の愛人たちに比べて交際は短い期間だと思われる。こちらはお店に行く場合もあったが、主に外で会い、やはりラブホテルに直行する。時には買い物に付き合うこともあり、支払いはすべて夫が行っていた。それにしても夫の愛人たちは年代も容姿のタイプも様々だったが、合計六人もの愛人がいたのである。そのあくなき絶倫ぶりには、男性探偵たちも信じられないと驚嘆の声を上げていた。さらに、サワコさんが全く知らない事実も明らかになった。実は夫は隠し財産として、二棟のマンションを所有していたのである。たくさんの愛人を持ちには、当然、お金が必要だ。そのためにはせっせと投資して、利ざやでさらに投資し、二棟のマンションを持つまでになったのである。愛人と隠し財産、そのどちらも暴露されれば、サワコさんは把握していなかったどころか、想像さえもしていない事実だった。結婚生活20年の間でこれだけの秘密がバレなかったのは、サワコさんの人の良さと、夫の口の上手さゆえであった。調査結果を伝えるとサワコさんは、声にならない唸りのような小さな悲鳴を上げ、突然、堰を切ったように泣き崩れた。「もしかしたらとは思ってはいましたが、まさかここまでとは……。信じていた私がバカだったんでしょうか?」ショックが大きかったのであろう、サワコさんは相談室のテーブルに突っ伏し、嗚咽してしばらく立ち上がれなかった。夫が不倫していたという事実、それも六人も愛人がいるとは。受け入れがたいのも無理はない。表面的には幸せそうな家庭のはずが、一皮むけば夫は不倫三昧で、妻に愛情のかけらもなかったのではないか。青天の霹靂とは、まさにこのようなことを言うのであろう。最初、サワコさんは泣いてばかりいたが、調査結果について説明を聞いているうち、だんだんと正気を取り戻していったようだった。そしてようやく冷静になったのか、はっきりと私たちにこう話した。「私は騙され続けていたんですね。こんなひどい仕打ちをされるなんて、絶対に夫を許しません。夫と同じお墓に入りたくないです」私と同じ女性としてサワコさんの気持ちはよく分かる。心の底から信じ愛していた人に徹頭徹尾裏切られていた事実を突きつけられて、絶望しない方がおかしい。私は離婚の際は、今回の調査結果が確固たる不貞の証拠となり、恐らく有利に働くであろうこと告げ、場合によっては優秀な弁護士さんを紹介するつもりだった。ところが、「離婚」という言葉が飛び出したことで、サワコさんの顔に一瞬とまどいの表情が浮かんだのを私は見逃さなかった。これからどうするのか、現実は辛い選択を迫っている。――サワコさんの選択――それから数カ月して、サワコさんから連絡が入った。自分の気持ちの踏ん切りがついて、離婚を前提とした別居生活に入ったというのだ。私たちの探偵の仕事は、すでに終了しているものの、それで終わりというわけにはいかない。ともかく最後まで依頼者の味方でありたいというのが、私の信念だった。優秀な弁護士さんを紹介し、離婚調停へ進むための相談を受け、証拠の数々も明確な報告書として提出する段取りも整えた。突然の別居を経てから裁判所への出廷、弁護士さんからの連絡、そして調停と夫にとつては、何が何やら分からぬままに離婚させられてしまったような感じだったのではないか。それだけ準備を整え、気丈に進めていったのである。調停で夫の乱脈な女性関係が明らかとなり、調停員の方々も、これにはドン引きしたらしく、夫に反論の余地はなかったようだ。サワコさんは、慰謝料と財産分与として、夫所有の二棟のマンションをそっくりそのまま譲り受けることになった。さらに不倫相手の女性の内、結婚前から交際していた女性には200万円、コーラスサークルの女性二人には100万円ずつ損害賠償請求を行った。交際期間の長い彼女はあっさり応じたが、コーラスサークルの女性には泣きつかれ、半分の金額で手を打ったという。これで一応の決着を見たのだが、私は一抹の心配事があった。20年も共に暮らしてきた夫と別れて、サワコさんは後悔しているのではないか。そして全財産を失ってしまった夫に同情してマンションを返すなどと言うのではないか。しかし、そんな私の心配は杞憂に終わったのである。「岡田さん、今私、三つ目のマンションを買おうと思ってるんです。不動産投資って、面白いですね。実は不動産投資会社の担当者、イケメンなんですよ……ウフフ」私はサワコさんからの嬉々とした近況報告の電話を聞きつつ、心の中で「くれぐれも男には騙されませんように」と願わずにはいられなかった。